2016年11月5日土曜日

在日特権を許さない市民の会 - 第01話 来歴編

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今度な。在日特権を許さないっていう市民団体ができたらしいんや。
けどな? 在日特権ってホンマにあるんか?
 
ああなるほど。それは、そうだね。
ザイ子ちゃん、在日のキミといえど、知らないのも無理からぬことだよ。
実はね。在日特権と呼ばれるモノが、この日本にはたくさん存在しているんだ?
 
そうだね。
たとえば、キミがこうして韓国籍のまま、日本で何不自由なく暮らしているのも特権なんだ。
 
 うちらのおじいちゃん、おばあちゃん! 在日1世っていうらしいやんか?

みんな日帝に、日本政府に強制連行されてきたって。そう教えてくれたんよ!! 在日は被害者なんやで?!

日本が罪つぐのうて、うちらが日本で暮らせる世話をすんのは当たり前やないのっ!!
 
いいかい? ザイ子ちゃん。キミのおじいちゃんやおばあちゃんが言ってることは間違いなんだ。
 
たしかに日本は朝鮮半島で労務動員を行ったけどね。
それは特定民族を狙ったものじゃない。

強制的に、そして法的根拠を持たずに、誘拐どうぜんに日本へ連れてこられたというような、いわゆる『強制連行』では決してなかったんだ。法にもとづいて、日本国民すべてに等しく義務づけられた動員だったんだよ。
 
1910年にだね、大日本帝国政府と大韓帝国政府は、正式な合意の下に『併合条約』を結んだんだ。

それでね、朝鮮半島は日本の一部になっていたんだよ。
植民地なんて言いだしたのは戦後になってからでね。
当時の朝鮮人たちはこぞってこの併合を、心から歓迎したんだ。
 
日本の一部だった朝鮮半島で日本が労務動員を行った。

これは、国内法にもとづく法的な根拠をもったものだったんだ。だから何ら批判されるものではないんだ。

たとえば今の日本国憲法には『労働の義務』が明記されているけど、これを「強制労働だ!」と批判する人はいないと思うんだ。

『徴用』も同じだよ。

当時の日本国民ぜんいんに、法にもとづいて課せられた義務だったんだよ? だから日本の一部だった朝鮮半島の人々が非難する理由は何もないんだ。ザイ子ちゃんはそう思わないかい?
 
それを説明するにはまず、労務動因が行われた当時の日本の状況を説明しなければいけないね。

その頃の日本は、支那事変(1937年~1945年)の拡大で多くの労働者が兵隊として支那、今の中国に渡っていたんだ。
 
 労働者がなんで兵隊にならんといかんの?
 
戦いが長引いて、必要とする兵隊の数が足りなくなったんだ。

それで日本人の普通の大人たちが、兵隊として動員されたんだね。そのため国内では、いろんな分野の職業で労働者不足が生じ始めたんだよ。

大日本帝国政府は1938年に『国家総動員法』を成立させ、この労働者不足に対応するために政府が国民を徴用することができるようにしたんだ。
 
日本人も徴用されたんか・・・・・・?
 
ああそうだよ。

『国家総動員法』の翌年、1939年に『国民徴用令』が日本本土だけを対象に発令されたんだ。

つまり日本国民はみんな徴用されることになったんだけど、この徴用令は朝鮮半島には適用されなかったんだ。

朝鮮半島に徴用令が適用されたのは1944年9月から1945年3月までの間だけだったんだ。
 
えっと・・・9月、10月、11、12・・・・・・

徴用の期間って一年ないやん!!
 
そうだね。

徴用令は1945年3月以降も朝鮮半島に発令されていたんだけど、この頃はアメリカ軍の潜水艦が日本の近海で暴れまわっていてね。朝鮮半島の徴用者を日本本土に運んでいた関釜連絡船が1945年3月に運行を停止したんだ。

だから、実質的な徴用期間は1944年9月から1945年3月までの約半年間ということになるんだよ。
 
たった半年なんっ!?
 
まぁ、労務動員という括りで言えば半年ではないんだ。

労務動員と呼ばれるものには三つあってね。それぞれ民斡旋、官斡旋、そして今話した徴用とがあるんだ。
 
徴用に、みん・・・あっせん・・・・・・かんあっせん?
 
今、ザイ子ちゃんがいった、民斡旋、官斡旋、徴用。

この三つの総称を労務動員というんだ。

民斡旋は自由募集ともいわれ、1939年から1942年に行われた。官斡旋は1942年から1944年。

徴用の期間である1944年から1945年を足すと、約6年間に渡り労務動員が行われたことになるね。



この期間中に日本に渡って来た朝鮮人の数は189万5千人といわれている。

労務動員前、つまり1939年より前に日本にやってきた朝鮮人、80万人とあわせてみると、朝鮮から日本へ渡航した朝鮮人の総数は269万5千人にもおよぶんだ。

そして、渡航した朝鮮人の多くがそのまま日本に留まり、終戦直前には210万人ほどが日本に在留、つまり住んでいたといわれてるんだ。
 
そのぉ・・・質問なんやけどな。話にあった民斡旋と官斡旋って、どういうもんなん?
 
日本国内の労働者不足を解消するためにだね。日本本土の民間業者が当時の厚生省や朝鮮総督府の許可を得て、朝鮮半島で労働者募集を行ったのが民斡旋といわれているんだよ。
 
バイトの募集みたいなもんか?
 
それでもね。

大東亜戦争もなかばをすぎると、さらに労働者不足が生じたたんだ。そこで、もっと効率よく労働者の募集を行いたいと考えたんだね。

朝鮮半島で労働者の募集を、いろんな民間業者がバラバラに行うよりも、行政機関が窓口になって呼びかけた方が効率がいい。

朝鮮総督府という朝鮮半島の行政機関が、朝鮮人への日本での就業の呼びかけを一括して行ったんだ。

それが官斡旋と呼ばれるものなんだ。これは今でいえば『ハローワーク』といったところだね。
 
その斡旋やけど・・・強制されたんとちゃうの・・・?
 
いいかい?

『総督府が窓口だから官斡旋は強制じゃないか』という人がよくいるけど、それは間違いなんだよ。

これが徴用なら従わないと逮捕などの刑罰が科せられるけどね、官斡旋はあくまで総督府が仲介役を務めただけで、従わないから逮捕されたなんていうことはなかったし、そもそもそのような法的根拠もなかったんだよ。
 
その労務動員で、どれくらいの朝鮮人が日本にやってきたんや?
 
民斡旋で14万7千人。
官斡旋で30万人。
徴用では22万人の朝鮮人が日本にやってきたんだよ。
 
けっこうおるんやな。
 
ただ、この労務動員中の時期にも自由渡航といってね。

斡旋や徴用と関係がない、自分の意志でやってきた朝鮮人がたくさんいたんだ。
 
自分の意志やて!? ホンマか博士!!
 
ああ本当だよ。
労務動員中、自由意志でやって来た朝鮮人の人数は122万8千人にもおよぶんだ。
 
122万8千人!!
 
ザイ子ちゃん、驚くにはまだ早いな。



朝鮮人の自由渡航者は、労務動員前だけでも80万人もいたんだ。労務動員後の122万8千人と合わせると、

なんと! 202万8千人もの朝鮮人が、自由意志で日本にやって来た計算になるんだよ。
 
そんなにぎょうさん、好きで日本へ来とったんか・・・・・・
 
この202万8千人に、民斡旋、官斡旋、徴用の人数を足すと朝鮮人渡航者の総数269万5千人になるね。この人数から徴用者22万人の割り合いを求めると・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
!! 計算完了だ。



博士の灰色の脳細胞が、瞬時に弾きだした計算結果によればだ。

徴用された朝鮮人は渡航者総数のたった8%にすぎないと出たぞ。

つまりだ、90%以上の朝鮮人が徴用とは関係がない。

そのほとんどが自分の意思で日本にやってきた者ということになる。さらに言えば、そのまた大半が斡旋事業とも関係なくやってきたということになるんだ。
 
 
日本にやってきた朝鮮人って、ほとんどが自分の意思でやってきたんやね・・・
 
でもな。8%でも徴用したんやろ?
無理やり日本に連行してきた朝鮮人もおるんやないか?

それやったら、やっぱり日本はメチャクチャ悪いことをしたんやないかな?
 
最初に説明したことだけど、徴用と強制連行はまったく違うものなんだよ。

それに徴用も無制限に行われたわけじゃないんだ。たとえば、日本本土では女性も徴用されたけど、朝鮮半島では女性の徴用はなかったんだよ。
 
えっ!? ウソやん!! だってさ・・・ウチのおばあちゃんは強制連行されてきたっていうとったで・・・・・・
 
キミのおばあちゃんは勘違いをしているか、嘘をついているかのどちらかだよ。

朝鮮人にはよくあることやけんね、
しかたなかっ!!
 
さて、日本で暮らしていた朝鮮人たちのその後についてなんだけどね・・・

多くの朝鮮人は朝鮮半島へと帰っていったんだ。



戦後すぐに『朝鮮人帰国事業』がGHQの命令で行われたんだよ。また日朝赤十字社の合意に基づく『帰還事業』も行われ、両事業あわせて約150万人もの朝鮮人が朝鮮半島へと帰っていったんだよ。

問題はそのまま日本に残った約60万人の朝鮮人、いわゆる在日一世なんだ。

この在日一世が『自分たちは強制連行で日本に連れて来られた被害者だ』と主張しているわけだけど・・・、ザイ子ちゃんはこの60万って数はおかしいと思わないかい?
 
えっ? なんで?

だって強制連行・・・ちがった、

・・・えっと、徴用で日本にたくさん連れて来られたんやろ?
 
そうだね。よく朝鮮人は強制連行=徴用だと主張するけど。

徴用で日本に来た朝鮮人の数は22万人しかいないんだよ?
 
38万人は徴用者じゃないんやな?
 
そう、数が合わないんだ。



それにもう一つ、今や泣く子も黙る新聞、じゃなかった・・・・・・朝日新聞は、1959年7月13日の記事で『1959年の(外務省)調査では、現時点で日本に在留する朝鮮人のうち徴用された朝鮮人の数は245人にすぎない』と発表しているんだ。
 
日本に残った徴用者って、245人しかおらんかったんか?
 
徴用された22万人の朝鮮人のほとんどが1959年の時点で朝鮮半島に帰ってしまっていたんだ。(もちろん『徴用』と『強制連行』は違うけど)仮に徴用を強制連行と呼ぶにしても、この245人が対象となるだけだ。

いわゆる在日一世60万人は、強制連行とは何の関係もない、自分の意思で日本に渡航したただの出稼ぎ労働者などに過ぎなかったということになる。在日一世で『自分は強制連行された』と訴える者のほとんどが大嘘つきなんばい。
 

・・・あわわわ。で、でもな? ウチのおじいちゃんが、その245人に含まれてるかも・・・・・・!
 
そうだね。
キミのおじいちゃんが日本に残った徴用者、245人に含まれている可能性は否定できない。

でもね。
戦後すぐと、1959年から1984年まで続いた二度に渡る大規模な朝鮮人の帰国・帰還事業を拒否して日本に残ったのは、キミのおじいちゃんの意思、自らの選択だったんじゃないのかな?

それに現在でも在日が祖国へ帰ることについて、日本政府は何も制限を設けていないんだ。

いつでも自由に祖国へ帰ることができるはずだよね?

自分の選択で日本に残り、いつでも祖国へ帰ることができるのに帰ろうともしない。在日一世が日本に残っていることを『強制連行した日帝のせいだ』とわめくのは筋違いも甚だしいと、ザイ子ちゃんは思わないかい?
 
それは・・・そうかもしれんけど・・・・・・でもな!

韓国帰ったらパンチョッパリ(「半分日本野郎」の意、在日を罵る韓国での差別語)っていわれんねん。すごく差別されるんや。とても生活できへんよ?
 
 
ザイ子ちゃんは韓国籍を保有しているね?

当然の事なんだけど、キミを守る義務があるのは韓国政府であって、日本ではないんだよ。

同じ朝鮮人に差別され、制度上キミたち在日が朝鮮半島で生きていけないとしてもだ。それは朝鮮半島の国家の問題であって、そもそも日本には何の関係もないことなんだよ。

日本はね。祖国に見捨てられたキミたち在日の居住を認め、ほかの外国人と比べても破格の待遇で守ってあげてるんだ。それなのにキミたち在日は、そんな日本に感謝するどころか悪態をつきまくる! 朝鮮総連のような、善良な市民を拉致するテロ国家の出先機関を作ったり、民団のように反日をあおり! 在日犯罪を助長する!! 日本への悪口雑言を世界に配信することで悦に浸り、自分たちがお世話になっている国を貶めることに快感を覚えている!! 日本国内にこんな変態的犯罪組織が闊歩していることは何より悲しむべきことだと博士は思うばい!!
 
・・・まぁ、反日で頭がおかしくなっている獣在日や総連・民団のような反社会的組織に対して、自分たちの手で叩き潰す自浄能力を在日が持っていないことに、多くの日本人が怒りの声をあげているんだ。

それが『在日特権を許さない市民の会』設立の原動力になっているんだね。
 
そっか、・・・在日一世ってただの出稼ぎ労働者なんやね。

強制連行なんて大嘘だったんや・・・・・・。

日本社会にも迷惑ばっかりかけとるようやし・・・

・・・はぁ、なんや自分が在日なのが恥ずかしゅうなってきたわ。

でも博士、どうしてただの出稼ぎ労働者の外国人がずっと日本におられんの?
 
それが次回のテーマ【特別永住資格編】だよ。

在日の国家への帰属の変遷を見ながら、どうして在日が日本に永住できるようになったのか? 特別永住資格があるとほかの外国人と何が違うのか? 在日の実態をじっくりとみていこう!
 
     





 
  

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