2016年1月17日日曜日

反日はどこからくるの

反日を追っています。そして守るべき日本とは何か考えています。

アイリス・チャンの『the Rape of Nanking』がトンデモ本というのは知られた話だが
日本語版出版についての騒動があったのは知らなかった

wikiにも書いてあった
【wiki】ザ・レイプ・オブ・南京 

日本語版の出版延期問題
日本語版の出版にあたっては、原著出版直後に日本での翻訳権・出版権を得た柏書房が、「解説書」を同梱で出版しようとした後に、柏書房は出版を中止した。この出版中止について朝日新聞社の英字紙である「アサヒ・イブニング・ニュース」(1999年2月19日付)は「本の製作を中止したのち、柏書房が語ったところによれば、手紙のうちの一通は極右グループの構成員を名乗る男からのものであった。」と報じた。同趣旨の報道は「ロサンゼルス・タイムズ」でもなされた。チャン自身も「そのような動きは、日本の右翼組織の脅迫によって動機付けられたものと疑っている」と主張した。しかし、柏書房の芳賀啓編集長は、出版延期は右翼の脅しによるものではなく、著者の出版妨害であると語った。その理由について、柏書房は、チャンが事実誤認の訂正を拒否をしたためであると主張した。

アイリス・チャンの母親である張盈盈は、アイリス・チャンの思い出をつづる本でこの事情を次のように主張している。

柏 書房は1998年春ごろに翻訳版の版権を取得したが、何人かの歴史家や教授に翻訳書の批評を拒否され、そのうちの少なくとも一人は「得体のしれない組織」 から家族への脅迫を受けているのがその理由だったと聞いた。また本書の版権を取得したことについて、柏書房が脅迫されているという噂が流れた。そのような 状況下で、1998年8月に柏書房がアイリス・チャンに本書の内容の訂正を求め始め、10月に訂正箇所のリストを送ってきた。アイリス・チャンがそれを精 査したところ、その要求の主要部分は誤りの訂正ではなく、事件に関する解釈の押しつけであると判断されたために、単純なスペルミスなどの些細な10か所の誤りの訂正を認め、それ以外の訂正については断ることにして、その点を説明する覚書を柏書房に送った。その後、柏書房は一部の写真の削除や後書きの追加などを求めたが、いずれも同意できる内容ではなかったので、認めなかった。訂正要求についてアイリス・チャンは、たとえば盧溝橋事件における日本軍の役割の解釈など、柏書房側が訂正した解釈のほうに誤りがあると考えていた。

1999 年の2月に、アイリス・チャンが日本の記者から電話でインタビューされ、柏書房が同梱で本書に関する批判書を添付しようとしている事実を知り、その点につ いてアメリカ側の出版社に確認を依頼していたところ、柏書房が出版を断念するという発表をした。この件について、柏書房の芳賀啓編集長はAP通信社の取材 に対し、1999年2月の記事で、出版社が原作の書物を批判する書物を同梱することについて、元の書物の著者と相談する義務はないと述べたという。

な お、この時に訂正を求めるリストや批判書の制作の重要な部分を担当した人たちは、南京大虐殺について1970年代から調査研究している「南京事件調査研究 会」という組織の加入メンバーであり、日本では南京大虐殺の積極的な肯定派と受け取られている人々である。彼らが、柏書房の芳賀啓編集長を通して著者のア イリス・チャンに訂正等を求めた理由として説明したものは、次のような論理であったという。
日本の保守的なグループは、南京大虐殺が全く存在して いなかったと主張している。そのやり方は、南京大虐殺に関する記事の些末なミスをあげつらい、その錯誤をもって、全体の事実の否定を印象付けようとするも のである。これに対抗するために、日本語の出版では、すべての誤りを除去したいのだ。

張盈盈は、この出版頓挫の出来事の経緯から、日本における右翼的な勢力の圧力が非常に大きいことをうかがい知ることができると主張している。

同書は2007年12月に同時代社 (巫召鴻 訳)から出版された。邦題は『ザ・レイプ・オブ・南京 ‐ 第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』である。




p230~231
中学生も笑い出すおびただしい間違いの山

(要約)

「(江戸時代)250年間、日本の軍事技術は弓と刀の段階を超えることができなかった」[アイリス・チャン21p]
→1543年種子島に鉄砲伝来。日本は自前で鉄砲を生産し、生産量は世界一に

「15世紀の終わりから16世紀のはじめの時期までに、日本は徳川氏の支配を受けるようになっていたが、」[21p]
→江戸幕府成立1603年=17世紀初頭

「朝香宮の情報将校だったタイサ・イサモがのちに友人に告白したところ」 [40p]
→「長勇(ちょういさむ)大佐」に言及しようとして、「大佐」という階級名をファーストネームだと勘違い
 また当時の階級は中佐

このような初歩的な間違いだらけの本を翻訳してそのまま出版するわけにはいかず、柏書房は内外の研究者の論文を集めた『南京事件とニッポン人』という本を、翻訳書と同時に発売することになった。

p225
  1999年2月8日付に産経新聞夕刊は、社会面トップで『ザ・レイプ・オブ・南京』の翻訳書出版についての記事を掲載した。その見出しは、<レイプ・オ ブ・南京/修正せず日本語版刊行へ/出版元「著者の希望」/事実誤認を黙殺/ニセ写真、そのまま掲載>というものであった。

p226
  柏書房が出した「2月の新刊」という出版案内によれば、2冊目の本には「『ザ・レイプ・オブ・南京』を正しく読むために」というサブタイトルが付けられて いる。翻訳書本体に対する一種の解説書という位置づけであることがわかる。編者は「大虐殺派」の中心人物の一人である藤原彰氏で、収録される論文には、 「『ザ・レイプ・オブ・南京』の持つ意味と問題点」(井上久士氏執筆)など日本人研究者の論文のほか、アイリス・チャンの議論の進め方に一部批判的なスタ ンスをとっている、チャールズ・バレス、リチャード・フィン、デビッド・ケネディなど、アメリカの学者やジャーナリストの文章も含まれることになってい た。

柏書房が一種の解説書を同時に出すことにした理由(藤岡信勝氏の考察)
p234
(要約)

①柏書房は左翼系出版社であるが、歴史を中心に学術書を出版してきた実績があり、キワモノを出版しては、同社から本を出しているほかの著者の名誉に関わる 

②『ザ・レイプ・オブ・南京』の出版は、南京で大虐殺があったとする派の運動の一環で、このまま出版すれば反対派の総攻撃を浴び、運動にとって逆効果
(右左以前の著書っていうことですね・・)

ところが解説書の同時刊行を知らなかったアイリス・チャン氏は激怒し
柏書房は『ザ・レイプ・オブ・南京』の出版を断念した。

これが経緯なのだがこの後とんでもないことに

続く

米軍、フィリピンに駐留可能に 南シナ海に進出する中国を見据え、両国の利害が一致

 日本と同じく、四方を海に囲まれ、中国を隣国に持つフィリピン。かつては米軍が駐留していたが、フィリピンの選択を受け、1992年までに米軍はフィリピンから撤退した。その後、中国は南シナ海への進出を強め、現在、フィリピンは中国との間に激しい領有権争いを抱えている。2014年には、米軍の事実上の再駐留を可能にする「米比防衛協力強化協定」が結ばれたが、憲法違反だとの反対派の訴えにより、フィリピン最高裁で審理が行われていた。最高裁は12日、協定は合憲であるとの判断を下した。

◆貧弱なフィリピン軍を補う。建前上は「一時的」
 この協定は2014年4月、オバマ大統領のフィリピン訪問に合わせて署名された。正式条約ではなく、両国行政府間の枠組み合意である。海洋安全保障、フィリピン軍の能力向上、災害救援などでの協力強化を目的とする。

  具体的には、米軍は、フィリピン軍基地の使用、基地内での米軍用施設の設営、部隊、艦船、航空機の配備などを行えるようになる。ただしこれらは永続的なも のとしてではなく、あくまで一時的なものとして認められる。例えば部隊は永続的に駐屯するのではなく、ローテーション配備される。協定は有効期限を10年 としていて、これは延長が可能である。

 南シナ海問題がこの協定の原動力となった。協定の交渉は2013年8月から両国間で進められてき た。フィリピン軍だけの力では、到底、南シナ海問題で中国に立ち向かうことができない。インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙(INYT)によれ ば、同軍には、機能しているジェット戦闘機はわずか2機しかなく、所有する艦船で最大のものは米沿岸警備隊の沿岸警備船の中古品であるという。フィリピン 軍はアジアで最弱の軍の1つであると同紙は語っている。近年、フィリピン政府は、アジアで最も装備の貧弱な自国軍の強化に苦労しており、米政府に頼ってい る、とAP通信は伝える。INYTによると、昨年アメリカは、フィリピンへの軍事支援として約8000万ドル(94億円)を拠出した。フィリピンは昨年、 東南アジアで最もアメリカの軍事支援を受けた国だった。

◆フィリピン政府は安心。アメリカも歓迎
 それだけに、協 定の発効に道を開いた最高裁の判断は、フィリピン政府に安心感を与えたようだ。フィリピンの指導者らは最高裁の判断を称賛した、とINYTは伝える。アキ ノ大統領の報道官は、協定によってフィリピンの防衛力は「世代交代的な躍進」が可能になるだろう、と語った。フィリピン上院の国防安全保障委員会のアント ニオ・トリリャーネス4世議長は、アメリカのプレゼンスの強化によって、フィリピンは中国の進出から自国を防衛できるようになるだろうと語った。「フィリ ピンが世界のこの地域において、もはや孤立した存在ではないと承知することが、中国に対してなんらかの心理的効果を有するだろう」と語っている。

  アメリカからもこの判断は歓迎されたことをAP通信は伝えている。INYTは、アメリカは、南シナ海での中国の影響力の高まりに対抗する取り組みにおいて 重大な勝利を得た、と報じた。ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は、両国がこの判断を歓迎した、と報じ、最高裁がアメリカのより大きな軍事的 役割に道を開いた、と報じた。

 これまでの南シナ海でのアメリカの取り組みには、実効性に欠ける面があったことをINYTはほのめかして いる。オバマ政権は、南シナ海での海上巡視を増やし、またフィリピンなどの同盟国に一層の軍事支援を提供することで、中国を思いとどまらせようと試みてい る、しかしアメリカは影響を与えるのに苦戦しており、中国は人工島で飛行場、軍事建造物、港湾施設の建設を推進している、と同紙は語る。

  だが、フィリピンとの協定は、アメリカに新たな力を与えそうである。WSJは、協定は地域でのアメリカの勢力を強化しそうなものだと述べている。カーター 米国防長官は、アメリカがアジア太平洋地域でのプレゼンスを強化するつもりでいる今、フィリピンは決定的に重要な同盟国だと評したという(AP通信)。マ ケイン米上院軍事委員長は、「フィリピン政府が、西フィリピン海で自国が中国の威圧の標的になっていることを認識し、米政府のリーダーシップを期待してい る今、この協定はわが国に、フィリピンとの同盟深化、フィリピン軍との協力拡大、東南アジアでのアメリカのプレゼンス強化の新たな手段を与えるだろう」と 声明で語った(WSJ)。

◆かつて米軍駐留を拒んだフィリピン
 フィリピンには、(アメリカの属領だった時代を含め)1世紀近く米軍が駐留していた、とAP通信は伝える。1986年、マルコス独裁政権が革命によって退陣させられ、フィリピンは民主化した。1987年に制定された新憲法で、 外国軍による基地の使用や駐留を認める条約に対しては、今後、上院による批准などが必要と定められた。基地協定により、フィリピン国内の米軍基地の駐留期 限は1991年までと定められていたが、基地の使用期限を延長する条約について、上院が否決したため、米軍の駐留は終了となった。1992年までに米軍は 撤退を完了した。当時、上院の否決は、ナショナリズムが高まる中で行われたとAP通信は語る。

 INYTは現在の状況について、フィリピンではいまだに多くの人がアメリカ軍を警戒しているが、そのフィリピンで協定が承認されたことは、地域における深刻な不安と、同盟関係の移り変わりを際立たせた、と他国の例も挙げつつ語った。

  協定が違憲であるとの訴えは、かつて条約を否定した上院議員のグループらが起こしたもの。協定は条約であって、上院の批准を必要とする、というのがその主 張だった。最高裁はその主張を認めず、協定は既存の条約の履行に関する行政合意であるとの政府側の主張を認め、合憲と判断した(まにら新聞)。

  最高裁の判断が示された12日には、アメリカ・ワシントンで、両国の外務・防衛担当閣僚による「2プラス2」安全保障協議が開かれた。両国の「2プラス 2」開催は2012年以来。最高裁の判断は、協議の始まる数時間前に発表された、とWSJは伝える。この点について、産経ニュースは、最高裁は協議開催を 前に、司法としての判断を示した格好だ、と指摘した。
(田所秀徳)
NewSphere2016.1.14
http://newsphere.jp/world-report/20160114-1/

フィリピンが米軍出ていけ!と憲法改正したとはじめて知ったのはこの時
復興庁暴言ツイート騒動と子ども被災者支援法

その頃フィリピンに斎藤まさしこと酒井剛氏がいたらしい
「東アジア共同体」と斎藤まさし 

酒井剛氏が沖縄に出没していることから見て、沖縄も同様にしたいのであろうと
思っていた矢先にフィリピンが米軍再駐留を認めることになった

それにしてもフィリピンのナショナリズムの高まりから米軍撤退を求めたことは肯定して
日本のナショナリズムは全否定って矛盾だよね

【南シナ海緊迫】
フィリピンの若者がスプラトリーの島に上陸 軍も食料提供 中国「強烈な不満」
フィリピン47人上陸
http://globalnation.inquirer.net/134258/filipino-youths-sail-to-kalayaan-isle

  【シンガポール=吉村英輝】フィリピンの若者が、同国が実効支配する南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島パグアサ島に船で上陸し、中国との摩擦が 強まっている。フィリピン政府は、中国を国際司法機関に提訴し、人工島造成などによる同海域の「主権」主張が「不当」と対抗しているが、中国は無視。フィ リピン国内で市民らの不満が高まっている。

 現地からの報道によると、15~27歳のフィリピンの男女47人が昨年12月26日、パグアサ島に到着。約500キロ離れたパラワン島を出航し、フィリピン国軍の退役軍人が同行した。
 同団体は上陸したメンバーの写真をフェイスブックに掲示し、「(フィリピンの)排他的経済水域(EEZ)への中国侵出実態の真実を伝えたい」と訴え、政府の対応に不満を示した。
 フィリピン国軍は、安全上の観点から渡航の自粛を求めていたが、上陸後は食料などを提供。大統領報道官は昨年12月27日、「他の方法」を検討すべきだとしながらも、「若者たちの愛国心は認める」と述べた。

  パグアサ島には、フィリピンの漁民らが居住し、国軍も常駐する。だが、約25キロ沖合のスービ礁では、中国が岩礁を埋め立てた人工島で巨大滑走路を造成し 軍事拠点化を進めている。パグアサ島を管轄する町長は昨年11月、中国の公船が、沖合2カイリ(約4キロ)に10日間停泊し、島への補給活動を監視してい たと訴えている。
 一方、中国外務省の陸慷報道官は昨年12月、同団体の行動に「強烈な不満」を表明。フィリピンに、実効支配する島や岩礁から人員や設備の撤収を求めた。
 中国による南シナ海の領有権主張をめぐっては、フィリピンの提訴を受けた常設仲裁裁判所(オランダ・ハーグ)が昨年10月末、本格審理を決定。今年中に判断を示すが、中国は同裁判所に「管轄権はない」と応じない姿勢を示している。
 法的解決を拒みながら力による一方的な現状変更を続ける中国に対し、米国は人工島周辺に艦船を航行させる「自由の航行」作戦に着手し、継続する方針だ。
産経ニュース2016.1.3
http://www.sankei.com/world/news/160103/wor1601030032-n1.html 
 

「世界の工場・中国」は終わった リーマン以来の貿易前年割れ…トドメはTPP

 中国が「世界の工場」と呼ばれた時代は完全に終わった。輸出と輸入を合わせた2015年の貿易総額が前年比8・0%減の3兆9586億ドル(約468兆円)とリーマン・ショック後の09年以来の前年割れ。16年以降もさらなる下振れが予想されている。

 15年の輸出は2・8%減。原材料や部品を輸入して安価に組み立て大量輸出する加工貿易で急成長してきた中国だが、人件費高騰や労使紛争の頻発などで競争力が失われ、繊維や衣料品、機械・電子部品など外資系の工場が相次いで中国から撤退した。

 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)が発効すれば有望な輸出拠点となるベトナムなどへのシフトが加速するとみられ、中国の輸出産業は地盤沈下が止まらない。

 輸入に至っては14・1%減の1兆6820億ドルと落ち込んだ。不動産市況や株式市場の低迷で内需が低迷、人民元安で輸入価格も上昇した。

 輸入の動きは国内総生産(GDP)と連動するといわれ、19日に発表される15年の中国のGDPでは統計数字の信憑(しんぴょう)性も問われている。

 貿易失速を受けて、13日の上海株式市場で、総合指数の終値は2015年8月下旬以来、約4カ月半ぶりに終値が3000を下回った。

  過去30年間で中国の貿易総額がマイナスとなるのは、アジア通貨危機のあった1998年とリーマン・ショックの影響を受けた2009年の2回しかない。

 政府系の中国社会科学院も16年の輸出は前年比0・6%減、輸入は3・0%減と予想しており、中国経済はさらに沈みそうだ。
zakzak2016.1.14
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160114/frn1601141700008-n1.htm 

確かに中国本土はそうなのかも。だけど・・・

TPPは中国包囲網とも言われているが
中国はTPP参加国の企業を買いその網にホイホイと入り込んでいるので全然包囲できてない
河添恵子さんが言ってた

中国企業の畜産買収攻勢で波紋 大手商社が警戒、優良物件で争奪戦
スミスフィールドhttp://jp.wsj.com/articles/SB10001424127887324182504578514143813850224

  食肉大手などの中国企業が豚肉・牛肉牧場や加工会社の大型買収に乗り出し、波紋を広げている。経済成長や食生活の変化で国内生産が需要に追いつかないた め、先手を打ち出した格好だ。日本の大手商社は「輸入牛肉の買い付けや牧場買収で『買い負ける』例も増えた」と警戒感を強める一方、中国市場の商機を取り 込むことで、日本向けの安定供給確保につなげたいとしている

 「異変だ…」。丸紅の関係者が漏らした。同社が1988年に参画 した豪州ニューサウスウェールズ州の牛牧場レンジャーズバレー。日本式の高級穀物肥育牛が人気を呼び、今年に入り、中国向け輸出が前年比で3~4割伸び出 したからだ。丸紅は中国向けを増やす一方、拠点増強や米国を中心に新たな畜産生産拠点の検討に入った。
国内業者に募る不信
 伊藤忠商事は今年1月、カナダの養豚・豚肉の一貫生産会社ハイライフの株式33.4%を約50億円で取得した。狙いは中国市場。

 共同で安心・安全な豚肉販売を強化しようと意気込む。三菱商事も中国食糧最大手のコフコや伊藤ハム、米久と中国で豚肉の生産事業に参画。2017年までに約1250億円を投じ、食肉や加工食品事業を拡大し、巨大市場を取り込む構えだ。

 これまで中国は、畜産自給を国策として、飼料向け穀物確保は輸入と海外の農地取得で動いてきた。
だが、穀物輸入が急増する中、飼育に必要な水不足もあり、「海外の牛肉や豚肉農場の買収で安定供給を図る戦略に転換した」(大手商社)。海外に供給先を求 めるのは、上海市の川で大量の豚の死骸が発見されるなど中国の消費者が国内業者に不信感を持っている事情もある。今後、ブラジルやニュージーランドなどで 牛肉や豚肉の生産拠点確保を加速するとの見方が強い。

 中国食肉大手、双匯(そうかい)国際は今年9月、米豚肉生産大手のスミスフィールド・フーズを47億ドル(約4926億円)で買収、米当局の正式承認を得た。スミスフィールドの最大顧客が日本だっただけに、日本企業に衝撃が走った。

養豚農家の仲介も
 買収劇は続く。12月23日、双匯国際はメキシコ冷凍食品大手と共同でスペインの食肉加工大手カンポフリオ・フードの共同買収提案を発表。それぞれ株式を保有するライバル同士だったが、手を組み、傘下に収めた。
 中国勢の大型買収を引き金に世界規模で優良物件の争奪戦が加速する公算も大きい。
実際、豪州の牧場買収を検討していた日本企業は、中国勢が価格をつり上げた結果、手がでなかったという。

 ある商社の幹部は今春、中国の食肉加工企業にデンマークの養豚農家を仲介した。「中国企業に日本向けの供給元を奪われかねない」と不安もよぎったが、「中国市場も同時に取り込まないと日本向けの供給すら危うくなる」のが現実だ。

 とりわけ、勢いを増すのが牛肉だ。 農畜産業振興機構によると12年の中国の冷凍牛肉の輸入量は前年の約3倍の6万525トン。今年1~10月期の輸入量は前年同期の7.3倍と過去最高を更 新する勢いを見せる。「韓国レストランやハンバーガーチェーンの台頭で牛肉の消費が急増している」(農畜産業振興機構)
外交で冷え込む日中関係だが、中国の食生活の変化を踏まえた、日本企業の次の一手が求められる。(上原すみ子)
SankeiBiz2013.12.30
http://www.sankeibiz.jp/business/news/131230/bsc1312300503001-n1.htm 
米国企業の化けの皮を剥がすと中国企業、という恐ろしいことになってるわけですね。


お金出してるのはこういうところ。
中国銀行とモルスタ、双匯のスミスフィールド買収に融資へ

[香港 31日 ロイター] - 中国食肉大手の双匯国際による米豚肉生産大手スミスフィールド・フーズSFD.Nの買収で、中国銀行(BOC)(601988.SS)(3988.HK)と米モルガン・スタンレー(MS.N)が合わせて70億ドルを融資することが、関係筋の話から31日明らかになった。

双匯は今週、スミスフィールドを現金47億ドルで買収することで合意。スミスフィールドによると、債務引き受けを含む買収総額は71億ドルになる。
関係筋によると、中国銀行は40億ドル、モルガン・スタンレーは30億ドルを融資する。両行とも融資条件に関しては、コメントを差し控えている。
双匯による買収案は、中国による米企業の買収案としては過去最大。対米外国投資委員会(CFIUS)の審査を受ける見通し。
ロイター2013.6.1
http://jp.reuters.com/article/l3n0ec3d6-shuanghui-bank-of-china-mstanl-idJPTJE94U01O20130531

(´・ω・`)あーグローバルってホント嫌 

関連記事はこちらから→【アンブロークン the unbelievable BROKEN story】

中国の富豪、ハリウッドのスタジオ買収を発表

(CNNMoney) 中国トップクラスの富豪、王健林(ワンジエンリン)氏が率いる大連万達集団(ワンダ・グループ)は12日、米ハリウッドの映画会社「レジェンダリー・エンターテインメント」を35億ドル(約4000億円)で買収すると発表した。

王氏は軍の兵士から実業界へ乗り出し、不動産と娯楽の分野に帝国を築いた人物。2012年には米映画館チェーンのAMCエンターテインメントを買収し、映画館運営の世界最大手を誕生させた。かねてハリウッドのスタジオも買収したいと話していた。

レジェンダリーが手掛けた最近のヒット作には「ジュラシック・ワールド」や「インターステラー」、「バットマン」シリーズなどがある。

王氏は声明で「レジェンダリーの買収により、ワンダは世界最大の収益を誇る映画会社となる。中国、米国という世界の2大市場でワンダの存在感を高めることができる」と述べた。

万達集団は山東省青島で広さ200ヘクタールという映画製作拠点の建設も進めている。

レジェンダリー傘下には映画のほか、テレビやデジタル、コミック部門がある。トーマス・タル最高経営責任者(CEO)は買収後も現職にとどまる見通しだ。
CNN.co.jp2016.1.12
http://www.cnn.co.jp/showbiz/35076094.html
(コミック部門・・これは嫌~な予感)


レジェンダリーといえば
アンブロークン製作会社にしてソフトバンクが出資しているわけだが

レジェンダリーソフトバンク

アンブロークンについてずっとツイートしてきたけど、これが一番反響あったかな
ソフトバンク嫌われ過ぎw

日本語のwikiがないんで英語版を見たら
【wiki】Wang Jianlin 

王健林

げ。世界経済フォーラムですか(ゲンナリ

王健林・大連万達集団父親は人民解放軍のヒーローで、故毛沢東主席とともに戦ったこともある人物だ。その父親の影響で、王氏は15歳で人民解放軍に入隊することができた。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150218/277692/

エコノミスト元記事
http://www.economist.com/news/business/21643123-chinas-biggest-property-tycoon-wants-become-entertainment-colossus-its-wanda-ful-life

ふーん
大連というと
日本がせっせと投資したところ、だよねぇ

日中友好協会もそうだけど
抗日記念館・名誉議長のいとこ=日中友好協会会長
全ては自分の首を絞めるためだったとさ。めでたしめでたし。

【戦後70年~東京裁判とGHQ(2)】
石原慎太郎の忘れ得ぬ屈辱 東條英機は「日本のヒトラー」だったのか? 残された遺族たちは…
東條英機@東京裁判

 雨が降っていた。正確な日時は覚えていない。旧制湘南中学校の学生だった元東京都知事、石原慎太郎(83)は、隣に住む大学生に連れられて東京裁判(極東国際軍事裁判)の傍聴に行った。父、潔がどこからか傍聴券を手に入れてくれたからだった。

 法廷があったのは、大戦中は大本営陸軍部が置かれた東京・新宿区の陸軍士官学校(現市ケ谷記念館)。2階の傍聴席につながる大理石の階段を上がると踊り場で進駐軍の憲兵(MP)に肩をつかまれた。
 「キッド(小僧)!」
 大声で怒鳴られたが、何を言っているのか分からない。大学生が「『うるさいから下駄(げた)を脱げ』と言ってるぞ」と耳打ちした。
 仕方なしに下駄を脱ぐと、MPは下駄をけり払った。石原ははいつくばって下駄を拾い、胸に抱いて裸足でぬれた階段を上った。

 傍聴席から下を見下ろすと、被告席にA級戦犯として起訴された被告がずらりと並んでいた。元首相の東條英機の顔も見えた。

 英語なので何の審理をしているのか、さっぱり分からなかったが、戦勝国が「支配者」として一方的に敗戦国を裁こうとしていることだけは伝わった。あの屈辱感は今も忘れない。
× × ×
 東京裁判の法廷は、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の法廷を模して作られた。
 かつて天皇の玉座だった講堂の正面部分は無残に破壊されて通訳席となり、判事席と被告席が対面するよう配置された。
昭和21年5月3日から23年11月12日まで続いた東京裁判は、連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーが、自らを「極東の統治者」として演出する ための政治ショーでもあった。被告席は傍聴席から見やすいよう配置され、被告の顔が記録フィルムにくっきり映るよう照明は増設された。

 20年8月30日、愛機バターン号で厚木飛行場に到着したマッカーサーは、その日のうちに米陸軍対敵諜報部隊長(准将)、エリオット・ソープにこう命じた。

 「戦争犯罪人の逮捕者リストを作れ。そしてまずトージョーを逮捕しろ」
 指令を受けたソープは当惑した。リストを作成しようにも戦争遂行に関与した人物どころか、日本政府の指導体制や大戦の経緯など基礎知識がほとんどなかったからだ。もちろん東條の自宅さえ知らなかった。
 作業が遅々として進まぬことにいらだったマッカーサーは9月8日にソープを呼び出し、怒鳴りつけた。
 「私の命令が10日間も実行されないのは前代未聞だ。48時間以内にリストを提出しろ!」
追い詰められたソープはふと思いついた。

 「そうだ。マッカーサーはトージョーと言っているのだから、とりあえず真珠湾攻撃を仕掛けたトージョー内閣の閣僚を中心にリストを作ればよいのだ…」

 こうしてソープは翌9日に40人近いリストを作成した。日本軍に協力した元フィリピン大統領やビルマ独立義勇軍のアウン・サン少将まで含まれるずさん極まりないリストだったが、これを基に戦犯容疑者の一斉拘束が始まった。
 「居所が分からない」とされた東條は東京・世田谷の自宅にいた。AP通信記者からこの情報を聞いた連合国軍総司令部(GHQ)は、9月11日にMPを拘束に向かわせたが、東條は直前に短銃自殺を図った。
東條は何とか一命を取り留めたが、その後もGHQの失態は続き、キーマンとなる人物が相次いで自殺した。

 近衛文麿はその象徴だといえる。12年7月の日中戦争開戦時の首相で、16年の日米開戦直前まで首相を務めた近衛は、日本の戦争責任を追及する上で最重要人物だったが、どうやらGHQは気づいていなかった。

 その証拠に、近衛は終戦後の東久邇宮内閣に国務大臣として入閣し、20年10月4日にはマッカーサーが直接会って憲法改正を指示している。この時点では、GHQは従順な近衛に占領政策の一翼を担わせる考えだったのだろう。
近衛は戦犯リスト入りをひそかにおびえていたが、GHQが相次いで発表する追加リストにその名はなかった。11月9日には米戦略爆撃調査団から日中戦争の経緯などを3時間も追及されたが、19日発表のリストにも名前がなかった。

 そこで近衛はようやく安堵(あんど)したようだが、12月6日に突如としてリストに名を連ねた。近衛は出頭期限の16日、東京・荻窪の自宅で「戦争犯罪人として米国の法廷で裁判を受けることは耐え難い」と書き残して青酸カリで服毒自殺した。

 近衛のリスト掲載が遅れたのは、中国が南京の軍事法廷への引き渡しを要求したこともあるが、GHQが大戦の経緯を理解していなかったことが大きい。
 近衛の自殺により、「軍人だけでなく文官も戦争犯罪人として処罰する」というマッカーサーの構想はもろくも崩れ、戦争への関与が極めて薄い元首相、広田弘毅が代わりに処刑されることになった
(→火葬場から盗み出された7人の遺灰
×  ×  ×
東京裁判のずさんさは数え上げれば切りがない。検事団も判事団も戦勝国のみA級戦犯の「平和に対する罪」は戦後編み出された概念にすぎない。被告側の戦勝国に不都合な証言は通訳を停止し、記録に残さなかった。

 しかも被告の選定には、戦勝国の利害が露骨にからんだ。

 21年4月10日、GHQはA級戦犯26人を確定した。ところが、遅れて来日したソ連検事団が、日ソ間の協定で解決済みの張鼓峰事件(13年)とノモンハン事件(14年)を蒸し返し、元駐ソ大使の重光葵と元関東軍司令官の梅津美治郎の追加をねじ込んだ。
 重光が禁錮7年の刑となったことには首席検事のジョセフ・キーナンにも自責の念があったようだ。後に重光の弁護人に「重光が無罪になることを期待する十分な理由があり、有罪となって非常に困惑した」と手紙で吐露している。
× × ×
 そんな戦勝国の一方的な裁判に正面から異を唱えたのが東條だった。
キーナンによる東條への尋問は22年12月31日から23年1月6日まで続いた。

 キーナン「米国は日本に軍事的脅威を与えたのか?」

 東條「私はそう感じた。日本もそう感じた」
 東條はこう語り、米国にハル・ノートを突きつけられ日米開戦が避けられない状況だったことを縷々(るる)説明し、キーナンの「対米侵略戦争論」を跳ね返した。
  東條は尋問直前に提出した口述書でも「この戦争は自衛戦であり、国際法には違反せぬ。(略)勝者より訴追せられ、敗戦国が国際法の違反者として糾弾される とは考えたこととてない」と主張。その上で「敗戦の責任は総理大臣たる私の責任である。この責任は衷心より進んで受諾する」と結んだ。
自らも認めた通り、東條が大戦時の指導者として多くの兵や国民を死なせた責任は大きい。陸相時代の16年1月に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」の一節を含む戦陣訓を示したことを非難されても仕方がない。逮捕時に自殺を図ったことも不評を買った。

 東條の指導力や先見性にも疑問符がつくが、GHQが貼った「日本のヒトラー」というレッテルはあまりに酷だろう。少なくとも東條が昭和天皇を守る盾になる一心で東京裁判に臨んだことは論をまたない。

巣鴨プリズン

× × ×
 「日本=侵略国、米国=正義」というGHQの世論操作もあり、東條の遺族に対する戦後日本社会の風当たりは凄まじかった。
東條の長男、英隆は父親と反りが合わず軍人ではなかったが、戦後は就職できず、長く妻の内職で生計を立てた。その長男(東條の孫)の英勝は、小学校では誰 も担任を引き受けたがらず、友達もいない。よく登り棒の上から教室をのぞいて過ごした。自殺を図ったこともあったという。就職にも苦労したが、「一切語る なかれ」という家訓を死ぬまで守り続けた。

 東條の曽孫、英利(43)も幼い頃から大人の冷たい視線を感じて育った。小学校の担任教諭は何かにつけて「東條英機の曽孫の…」と接頭語をつけた。

 小学4年の時、母親に連れられてドキュメンタリー映画「東京裁判」を見に行った。被告席で東條が国家主義者の大川周明に頭をポカリと殴られたシーンを見ていると、母から「あれがひいおじいちゃまよ」と耳打ちされた。
同じ年に東條英機の妻、かつ子が99歳で死去。玄関に飾られた曽祖父の軍服姿の写真を見て、何となく自分の家族の置かれた状況が分かるようになった。高校では、社会科で世界史を選択した。授業中に教諭に東條英機の話を振られるのが嫌だったからだ。

 「私も多少不快な思いをしたけれど父の代に比べればかわいいものです。父に『これだけは誇りを持て』と言われたのが、GHQがいろいろと探したのに不法な金品財宝が一切なかったこと。おかげで貧乏暮らしでしたが、今は曽祖父に感謝しています」

 こう語る英利は、自分の息子の名にも「英」をつけた。重い歴史を背負う東條家の意地だといえる。
(敬称略)
産経ニュース2015.12.21
http://www.sankei.com/premium/news/151221/prm1512210015-n1.html

参考
デタラメ東京裁判 

海外抗日記念館とフライングタイガース 
海外抗日記念館の名誉議長になったアンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)

彼女は中国の近現代政治の中枢に繋がるもう1つの重要な政治的資産を持つ。母方の家系は孫文側近の廖仲凱、その息子で共産党政権にあって華僑工作を一手に取り仕切った廖承志に繋がっていた。であればこそ彼女は、国民党・共産党・ホワイトハウスの間を“正三角形”に結んで飛び回ることが可能なのだ。
『留雲借月 陳香梅回憶録』(陳香梅 時報出版 1991年)
http://www.geibundo.com/chido_chugoku_0337.html


【wiki】廖仲ガイ 
廖仲愷(アンナ・シェンノート叔父)

(抜粋)

廖 仲愷(りょう ちゅうがい、1877年4月23日 - 1925年8月20日)は清末民初の革命家・政治家。中国同盟会以来の革命派人士で、中国国民党では容共左派の指導者として知られる。仲愷は字で、名は恩 煦。別名に夷白。筆名に屠富、淵実。祖貫は広東省恵州府帰善県。兄は廖鳳書。妻は何香凝。子は廖夢醒、廖承志。

家族
妻の何香凝は画家でもあり、引き続き国民党左派として活動した後、中華人民共和国で全国人民代表大会常務委員会副委員長をつとめた。娘の廖夢醒、息子の廖承志は共産党で活動し、承志は中央対外連絡部部長として高碕達之助と共に中日長期総合貿易覚書(LT貿易覚書)を取りまとめたことで知られる。


英語版
【wiki】Liao Zhongkai 

(抜粋)

Liao and He Xiangning had a daughter, Liao Mengxing, and a son, Liao Chengzhi. The latter had four sons, Liao Hui being the eldest. Anna Chennault is his niece.
アンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)は姪

息子
【wiki】廖承志1949年の中華人民共和国の建国以降中国共産党の対外活動の責任者を務め、日本との関係では特に1962年に高碕達之助との間で取り交わした覚書に基づくLT貿易を開始した人物として知られる。中日友好協会では1963年の設立時から死去まで会長の任にあった。

日本生まれの日本育ちで、廖の話す日本語は「江戸っ子」なみのベランメエ調も話すことができるほどであり、1972年の日中国交正常化交渉では首脳の通訳として活動、中国共産党史上最高の知日家として中国外交陣における対日専門家育成の基礎を作った。

経歴
1908年、中国国民党の幹部であり孫文の盟友であった父の廖仲愷と、同じく中国国民党の幹部であり後に中国国民党革命委員会中央執行委常務委員となった母の何香凝の間に東京で生まれる。別名に母方の姓を用いた何柳華。

1919 年に帰国し嶺南大学(現・中山大学)に入学。1925年の父の暗殺後、再来日し早稲田大学に入学。1928年、済南事件をきっかけに帰国、中国共産党に入 党。1928年から1932年の間に渡欧してヨーロッパの中国人船員のオルグ工作を担当した。1930年には、モスクワ中山大学に学ぶ。そこでのちに台湾 総統になる蒋経国と机をならべた。

1932年に帰国し中華全国総工会宣伝部部長に就任。一時逮捕されたり反革命の嫌疑で党籍を剥奪される時期もあったが、党の宣伝関係などの要職を歴任。1937年より香港において抗日戦争を戦う華僑の組織化の責任者となる。

1942年に国民党政府に逮捕され1946年まで入獄。1946年に米国の仲介で成立した国共両党間の捕虜交換により出獄し、1949年の中華人民共和国建国まで、新華社社長、党南方局委員、党宣伝部副部長などを歴任。建国後は政府の華僑事務委員会副主任党中央統一戦線工作部主任など対外工作の要職に就いた。

建国後日本との国交のなかった1950年代に訪日し、対日関係の窓口として活動を行った。

1962年11月9日、責任者の名前のイニシャル、廖(LIAO)の「L」高碕(TAKASAKI)の「T」をとってLT貿易協定と言われる「中日長期総合貿易覚書」に調印し、友好商社による細々とした民間友好貿易から半官半民のLT貿易へと拡大、1964年4月20日には「中日両国の貿易事務所の設置と常駐記者の交換に関する覚書」(詳しくは日中記者交換協定を参照。)に調印し、後の国交正常化に至るまでの日中交流の道を開いた。

1963年には中日友好協会が設立されて会長に 就任、その後一貫して対日交渉の最高責任者の地位にあった。文化大革命中に先頭にたって文革推進の立場から日本共産党攻撃を行い、北京駐在日本共産党員を 「足蹴にしてしまえ」と叫んだという記録が残っている。しかし結局本人も「親日派」であると批判され一時失脚し、後に復活。1972年の日中国交正常化に 際しては毛沢東や周恩来の通訳を務めるなどして尽力した。通訳にあたっては同席する他の中国人通訳のちょっとした訳の間違いなどが、日中間の漢字表現の違 いから誤解を招かぬよう、そばでやさしく訂正したりもして進行を円滑にしていた。

1979年の中米国交回復後、1982年には台湾の当時の総統であった蒋経国に対し祖国統一を呼びかけた。党中央委員・第5期全人代常務委員会副委員長にも選ばれた。

なお、息子の廖暉(りょう き)も父の後を継いで1984年から1997年の間は華僑事務委員会主任、その後は香港・マカオ事務委員会主任を務めている。現在、第17期中国共産党中央委員(第12期以降、連続当選)も務める。


このサイトに
『生涯を中日友好に捧げた廖承志氏』
http://japanese.china.org.cn/japanese/185450.htm
という文章と画像があるんだけど

LT貿易とか

廖承志と高崎達之助http://japanese.china.org.cn/japanese/185740.htm

ググれば他にも美談ぽい記事やら出てきますが

日中友好協会というとピンとくる名前がありまして
まぁ第三代会長なんですけど

日中友好協会年表
http://j-cfa.com/about/index.html

勿論いとこのアンナ・シェンノート氏が別人格なのは言うまでもないけど
結局「抗日」団体に担ぎ上げられるわけで

フローレンス・ファン&アンナ・シェンノート
http://sina.com.hk/news/article/20150904/0/1/2/ 陳納德遺孀攜飛虎隊老兵重回抗戰受降地-1193635.html?p=2
フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)氏&アンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)氏

「友好」という言葉が非常に空疎ですね
まぁ真に受ける日本人が悪い
ということだろう。

追記2016.1.12
毎日新聞の浅海一男が書いた「百人斬り」の嘘だ。ダワーがきちんと取材していれば戦後の浅海一男の消息も知ることができただろう。彼は支那に招かれ、廖承志(りょうしょうし)に一家を面倒見るから北京に来いと誘われる。文化大革命の少し前のことだ。
 廖は娘真理を北京大に入れて、今は北京市内に店1軒を与えている。その間、浅海は「日本軍は残虐だった」「向井、野田両少尉の百人斬り競争は事実だ」と北京政府のための発言を続けた。
「敗北を抱きしめて」などいられない① 

何と百人斬りにまで関わってたか・・・


追記2016.1.16


p223
  事実などどうでもいい、声の大きい方が勝つ、相手が理のあることを言ってくるようなら、脅しつけて黙らせればいい、というのが中国の態度である。その点日 本は、まことにうぶでお人好しの国と言わざるをえない。中国に出向いて、「日中で研究会をつくり、たがいに歴史認識のすり合わせ作業をしよう」と提唱した 野党の党首など、じつにお目出度いかぎりである。あとで中国ではいい笑いものになったに違いない。

 ここで、ぜひ紹介しておきたいエピソードがある。日中友好協会の集まりで、日本側の出席者の一人である松村剛氏が中国の孫平化会長に向かって、「南京虐殺というけど、・・・・人口は20万人しかいないのに、どうやって30万人殺せるんですか。・・・・ひじょうにおかしいと思うから・・・・国際調査委員会を作る、その上で話を決定しようじゃありませんか」と語りかけたところ、「その必要はない。30万という数字は、中国共産党の決定として、もう決まっているんだ」と答えたという。「南京」をめぐる情報戦の本質を、これほど露わにした言葉もないだろう。
 

変容する「抗日」 
海外抗日戦争記念館について
ツイッターで教えてもらった(^O^)/

在米の華僑系住民、抗日戦争勝利委員会を立ち上げ 戦後70年で 反日運動の活発化は必至

 【ロサンゼルス=中村将、北京=矢板明夫】来年の戦後70年に向けて、米カリフォルニア州などの華僑系住民らが「抗日戦争勝利70周年組織委員会」を立ち上げたことが分かった。委員会には米連邦議員や米政界にパイプを持つ有力者も参加しており、米国における反日活動は一層強まりそうだ。

 関係者や地元中国系メディアによると、「今後、委員会は全米各地で、日本が戦時中に中国や東アジアの国々を侵略して人々を冒涜(ぼうとく)し、各国の社会や経済に重大な損害を与えたことを振り返り、次世代に語り継ぐイベントを展開していく」という。
 委員会の議長は、サンフランシスコの中華街に中国以外で初めて対日抗戦を顕彰するための「海外抗日記念館」の設置を表明している女性実業家、フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)氏。当初の開館予定は来年9月だったが、8月15日に前倒しして進めている。
名誉顧問には、慰安婦問題での日本非難決議を主導し、先の米中間選挙で8選を果たしたカリフォルニア州下院17区選出のマイク・ホンダ議員が就任した。反日的な言動で知られ、来年は米議会を舞台に反日工作が活発化する恐れもある。

 また、名誉議長にはアンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)氏が就いた。1925年に北京で生まれ、通信社の記者だった22歳のとき、米空軍中将、クレア・リー・シェンノート氏(故人)と結婚。その後、渡米し多くの米国要人と交流した。米政府の対中政策顧問に就き、米中の政治交流の橋渡し役を務めた。レーガン大統領の特使として訪中し、最高実力者、●(=登におおざと)小平氏と会談したこともある。

  米政府にパイプのあるアンナ氏を担ぎ出すことで、米政権中枢などにも日本の戦争責任を訴える狙いがありそうだ。アンナ氏は高齢で、中国系メディアによる と、10月に首都ワシントンで開かれた「国家記憶映像展」に出席したほかは、近年は動静がほとんど伝えられていなかった。
夫のクレア氏は37年に日中戦争に突入した中華民国の国民党軍の顧問として雇い入れられ、米退役軍人を集めて義勇軍の戦闘機隊「フライングタイガース」を結成し、日本軍の航空部隊と戦ったことから「抗日英雄」とされている。
産経ニュース2014.12.1
http://www.sankei.com/world/news/141201/wor1412010002-n1.html



抗日戦争記念館@サンフランシスコ
抗日戦争記念館@サンフランシスコ5
フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)氏
http://j.people.com.cn/n/2015/0818/c94689-8937986.html



抗日戦争記念館・方李邦琴・マイクホンダ
Fang has already invited retired General James Whitehead, chairman of Flying Tiger Historical Organization, to serve as an honorary director of the museum.During World War II, the Flying Tiger pilots flew the Hump route over the Himalayas to India and back to deliver military supplies and joined the Nationalist Chinese Air Force in fighting the Japanese invaders.

http://usa.chinadaily.com.cn/opinion/2015-03/02/content_19697361.htm


このフローレンス・ファン氏がフライングタイガース歴史組織(Flying Tigers Historical Organization)
の名誉委員長をやっていると
シェンノート氏の娘、孫娘も委員なんですね
ジミー・ドーリットルの孫娘も→【wiki】ジミー・ドーリットル 

FlyingtigerHistoricalOrganizationHPFlyingtigerHistoricalOrganizationHP Florence Fang
http://www.flyingtigershistoricalorganization.com/about/committees/


【wiki】クレア・リー・シェンノート 

(抜粋)

ク レア・リー・シェンノート(英: Claire Lee Chennault, 1893年9月6日 - 1958年7月27日)は、アメリカ合衆国の軍人。中国名は陳納徳。アメリカ陸軍航空隊の将校であり、日中戦争最中には顧問として派遣された中華民国軍で 航空参謀長を務めた。フライング・タイガースの指揮官としてその名を知られる。最終階級は中将。
なお、日本では姓Chennaultについて「シェンノート」と呼ばれることが多いが、正しい発音はシェノールト又はシエノールに近い。

「フライング・タイガース」
その後、1937年に日中戦争に突入した蒋介石総統率いる中華民国の国民党政府に、アメリカの支援によって設立された中華民国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして、航空参謀長の地位(階級は大佐)で雇い入れられた。

そ の後、蒋介石総統からの軍事支援の要請を受けたフランクリン・D・ルーズベルト大統領の指示を受け設立された「ワシントン中国援助オフィス」の支援の下 に、アメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group、AVG)を設立し、カーチスP-40などの100機のアメリカ製の最新鋭戦闘機と、シェンノートと同じくアメリカ軍籍を一時的に抜いて「民間 人による義勇兵」となったパイロット100名、そして200名の地上要員をアメリカ軍内から集め中国大陸に送る。  
パ イロット募集の結果、シェンノートの下にはかつて彼と共に飛んだ「フライング・トラピーズ」(陸軍統括の飛行部隊)のメンバーも数名加わり、それなりにベ テランパイロットは揃い始めた。しかしその後は思ったように集まることはなく最終的にはシェンノートが理想としていた基準は落とさざるを得なかった。募集 名簿がすべて埋まった時、AVGのパイロットは39州から海軍50名、陸軍35名、海兵隊15名の合計100名で編成された。しかし戦闘機訓練と航空機射 撃の訓練を受けてきたパイロットはこの中の僅か1/3しかおらず、むしろ爆撃機の経験者の方が多く機体の扱いなどには未熟な者も多かった為、中国現地にて メンバーに対しての再訓練が必要であった。一方、中華民国軍兵士のパイロット訓練にも当たった。
ルイス・シェンノート蒋介石・宋美齢

死去
最初の妻・ネル夫人とは1946年に離婚し、翌年には中華民国の通信社・中央通訊社の記者だった陳香梅と再婚。1958年に死去し、ワシントンD.C.のアーリントン国立墓地に埋葬された。
クレア・シェンノート&陳香梅
(真珠湾がsneak attackだったと言えなくなるんですがそれは)


最近の画像ないかなと思って探したら嫌~~~なものを見つけた

習近平・陳香梅シェンノート
 http://www.ksnews.com.tw/newsdetail_ex.php?n_id=0000814898&level2_id=109

馬英九・陳香梅シェンノート
http://www.cna.com.tw/news/aipl/201510070265-1.aspx

【まとめ】
▼海外抗日記念館@サンフランシスコ by 抗日戦争勝利70周年組織委員会
議長:フローレンス・ファンFlorence Fang(中国名・方李邦琴)=フライングタイガース歴史組織名誉委員長
名誉議長:アンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)氏
名誉顧問:マイク・ホンダ議員

▼アンナ・チェン・シェンノート(中国名・陳香梅)氏
フライングタイガースを指導したクレア・リー・シェンノート氏の二度目の妻
習近平・馬英九にそれぞれ会って表彰されている 

【戦後70年~東京裁判とGHQ(1)】
火葬場から盗み出された7人の遺灰は… 広田弘毅は無理な罪状にも「自ら計らわず」GHQ東京裁判法廷

  昭和23年12月26日未明、横浜市西区の久保山火葬場(現久保山斎場)の共同骨捨場に、黒いマントに身を包んだ男3人が闇にまぎれて忍び込んだ。3人は 先端に空き缶を付けた竹ざおをコンクリート床の穴に入れ、中にたまった骨灰を慎重にすくい上げた。寒さと緊張で手の震えが止まらない。なんとか一握りほど の骨灰と細かな骨を集め、骨壺に収めると、男たちは無言でうなずき合い、その場を立ち去った。

 骨壺は近くの寺で厳重に保管された後、翌24年5月3日に伊豆山(静岡県熱海市)中腹の寺院「礼拝山興亜観音」に持ち込まれた。
 遺灰は、東京裁判(極東国際軍事裁判)で死刑を宣告され、A級戦犯として絞首刑となった元首相、東條英機(陸軍大将)ら7人のものだった。
 7人の刑は、戦犯収容所の東京・巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の一角で23年12月23日午前0時すぎ、ひっそりと執行された。この日は明仁皇太子(天皇陛下)満15歳の誕生日だった。
 連合国軍総司令部(GHQ)は刑執行後、久保山火葬場に遺体を運び込み、厳重警戒の中で焼却した。遺族は遺灰の引き取りを願ったが、GHQはにべもなく断った。神聖化され、軍国主義復活に利用されることを恐れたのだ。遺骨は米兵によって鉄の棒で粉々に砕かれ、東京湾に捨てられたとされる
遺族たちの無念を聞き、東京裁判で元首相の小磯国昭の代理人を務めた弁護士の三文字正平が奮い立った。久保山火葬場で火葬されるという情報を得ると、旧知の住職とともに火葬場長に遺灰奪回計画を持ちかけた。

 火葬場長は、米兵がわずかな骨片や遺灰は掃き集めてコンクリ穴に捨てたのを見逃さなかった。クリスマスの夜ならば警備も手薄になるに違いない。こうして3人は首尾よく遺灰を取り戻したのだった。

 最終的に遺灰を持ち込んだ興亜観音は、東京裁判で南京事件の責任を問われ処刑された元中支那方面軍司令官、松井石根(陸軍大将)が日中戦没将兵の慰霊に建立した寺だった。松井は巣鴨への出頭直前に密かに興亜観音を訪ね、「どうか英霊の供養を頼む」と住職の伊丹忍礼の手を握った。
  それだけに興亜観音は絶好の安置場所だったが、油断はできない。三文字は骨壺を持ち込んだ際、「これはお知り合いのご遺灰です。時機が来るまで誰にも分か らぬよう秘蔵していただきたい」と頭を下げた。誰の遺灰かピンときた伊丹は快諾し、本堂の床下や礼拝堂など隠し場所を頻繁に変えて遺灰を守り続けた。作業 は真夜中に行い、家族にも秘密だった。伊丹の三女で現住職の妙浄(63)はこう打ち明けた。

GHQ東京裁判法廷・興亜観音
 「父はご遺灰については何も語りませんでしたが、『兵隊さんのご苦労を思えば何の苦労もない。ご英霊のご丹精があったからこそ今日の日本がある』というのが口癖でした。英霊はA級もB級もなく供養するのが当たり前だと考えていたのでしょう」
× × ×
A級戦犯として処刑された7人の中で元首相、広田弘毅は外交官出身で唯一の文官だった。

 23年11月12日の死刑宣告から2週間余り経った11月29日、広田の家族は最後の別れを告げに巣鴨プリズンを訪ねた。

  10歳だった孫の弘太郎(77)は面会室の一角でガラス越しに祖父と向き合った。物心ついて祖父に会うのは初めて。面会前に父、弘雄に「お前がおじいさん に会えるのは今日が最後だ。なるべく覚えておくように」と言われたので必死に目を凝らしていると、広田は優しくほほ笑みながらこう言った。
 「ちゃんと勉強して、しっかり暮らしなさい」
 緊張のあまり顔はうろ覚えだが、広田の落ち着き払った物腰は覚えている。他の家族にも、判決への不満や、遺言めいた言葉は一切なく「これからの世の中は外国語の勉強はしておいた方がいいな」などと何気ない団欒を続けた。
 広田は一体何の罪に問われたのか。
 主席検事、ジョセフ・キーナン率 いる検事団は、侵略戦争を計画・実行した「平和に対する罪」▽捕虜殺害・虐待など「通常の戦争犯罪」▽一般住民への非人道的行為など「人道に対する罪」- の3つの罪状で28人を起訴した。対象は3(1928)年1月1日から20(1945)年9月2日まで。適用された訴因全55項目のうち広田の訴因は48 項目に及んだ。
検事団は、首相の田中義一が3年に昭和天皇に上奏したとされる「田中上奏文」を、ナチス・ドイツを率いたヒトラーが著した「わが闘争」と同様の文書と位置づけ、歴代内閣と軍部が17年8カ月にわたり侵略戦争を計画・遂行した-という筋書きを描いた。

 実態は全く違う。この時期は短命政権が続き、政策に一貫性はない。満州事変や盧溝橋事件なども関連性が薄かった。無理な筋書きはすぐに破綻し、検事団は早晩行き詰まった。しかも証人尋問を通じて検事団が証拠提出した田中上奏文が偽物だと判明した。

  窮した検事団が飛びついたのが、広田内閣が11年8月に策定した「国策の基準」だった。仮想敵国の想定に基づき陸海軍の南北並進を記した文書を「侵略戦争 への計画書」と見立てたのだ。仮想敵国対策が戦争計画であるはずはなく、広田も「軍部の予算獲得のための方便」としか認識していなかったが、検事団は広田 を「軍部の積極的な追随者」と位置づけた。
 広田が外相時代の12年12月に起きた南京事件への対応も「現地から報告を受けながら陸相に抗議しただけで閣議報告せず、適切な対策を怠った」と責任を問われた。


  軍の作戦が閣議案件になるはずはなく、最年少で起訴された元軍務局長、佐藤賢了(陸軍中将、終身刑)は「外相は陸相に警告する以外にすべがなかったことを 証言すべきだ」と促したが、「自ら計らわず」を信条とする広田は一切弁明しなかった。広田については判事団の見解も分かれ、多数決の結果、6対5で死刑判 決が決まった。
背景には、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが「戦争犯罪は日本政府全体で遂行したもので軍部だ けの責任ではない」と文官の処罰を求めたことがある。ところが、文官ながら広田よりよほど戦争に関与していた元首相の近衛文麿はA級戦犯リストに入れられ た直後に服毒自殺した。元外相の松岡洋右も公判中に病死してしまった。代わりに広田がターゲットになったと言ってもよい。

 それでも広田は判決に愚痴一つこぼさず「雷に当たったようなものだ」と達観していた。

 心の支えは家族だった。妻、静子は「パパを楽にしてあげる方法が一つあるわ」と言って自ら命を絶ったが、娘たちは欠かさず法廷に通い、被告席の広田と視線を交わした。
 「デス・バイ・ハンギング」。裁判長のウィリアム・ウェッブの死刑宣告で法廷がどよめく中でも、広田は娘たちにほほ笑みかけることを忘れなかった。
   × × ×
 7人の処刑から5年目の命日となる28年12月23日。見知らぬ外国人が興亜観音に姿を現した。東京裁判でインド代表として判事を務めたラダ・ビノード・パールだった。山麓に住む松井の妻を訪ねた後、山道を登り、7人の菩提を弔いに来たのだった。
  パールは裁判で被告人全員の無罪を主張した。法廷に提出した1200ページ超の意見書では、勝者が敗者を裁くこと自体を批判。「日本は計画に基づき侵略戦 争を始めたのではなく、むしろ西洋に挑発された」「一般市民への生命財産の侵害が戦争犯罪ならば、原爆投下こそが裁かれねばならない」などと主張した。
 興亜観音の境内には34年4月、松井の友人らが「殉国七士之碑」を建立した。揮毫したのは広田と外務省同期入省の元首相、吉田茂だった。
満州事変の責任を問われ、処刑された元第7方面軍司令官、板垣征四郎(陸軍大将)の次男で元参院議員の正(91)はこう語った。

 「東京裁判はGHQの占領政策の一環であり、裁判に値しない。だが、心ある日本人がGHQに屈しなかったからこそ7人の遺灰が今に至るまで大切にされた。ありがたいことです」

× × ×
GHQ東京裁判法廷・興亜観音碑
 興亜観音をめぐってはこんな不思議な話もある。
 26年5月、1人の米将校が興亜観音を訪れた。7人の死刑執行の責任者だった米軍中将、ウォルトン・ウォーカーの副官だった。
 ウォーカーは朝鮮戦争の米軍司令官として朝鮮半島に派遣されたが、自らジープを運転中に同僚に追突され、崖から転落死した。
 事故があったのは、25年12月23日未明。7人の命日だった。「7人の呪いではないか」。韓国人将校にこう言われた副官は興亜観音に7人の遺灰があることをどこからか聞きつけ、悪霊払いに訪れたのだった。
 住職の伊丹忍礼は「怨親平等が松井大将のお心です」と言い、ウォーカーの慰霊碑を菩薩像のそばに建立し、法要を営んだ。
(敬称略)
GHQ東京裁判法廷・A級戦犯として起訴

産経ニュース2015.12.20
http://www.sankei.com/premium/news/151220/prm1512200024-n1.html


参考
A級戦犯ではなかった松井石根大将 

( `ハ´ )シナーくんの株式市場日記

▼1月4日
( `ハ´ )今日は新制度導入でワクワク。うまくいくかな。

上海 株価急落 新制度発動で取り引き打ち切り
ことし最初の取り引きとなった4日の中国・上海の株式市場は、株価が大きく下落し、新たに導入された株価の急な変動を抑制するための制度が早くも初日に発動され、本来の取り引き終了時間を待たずに取り引きを打ち切る展開となりました。

ことし最初の取り引きとなった4日の中国・上海の株式市場は、4日に発表された中国の製造業に関する経済指標が市場の予想よりも大幅に悪化したことなどから売り注文が相次ぎ、午後に入って株価は大きく値下がりしました。
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これを受け、4日から新たに導入された株価の急な変動を抑制する「サーキットブレーカー」と呼ばれる制度が発動され、15分間取り引きを停止しました。ところが取り引き再開後も株価は下落を続けたため、本来の取り引き終了時間の1時間半ほど前に4日の取り引きを打ち切りました。

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この制度は、去年上海の株式市場で株価が乱高下したことから導入され、基準となる株価指数が、前日の終値と比べて1日で5%以上変動した場合には15分間、7%以上変動した場合にはその日の取り引きを停止するというものです。
4日は、この株価指数が去年の年末に比べて5%と7%をそれぞれ超えて下落し、新制度が早くも初日に発動される展開となりました。この結果、上海市場の代表的な株価指数である「総合指数」の終値は3296.26ポイントと、去年の年末より6.86%下落しました。
市場関係者は「製造業に関する経済指標の悪化などから中国経済の減速が改めて強く意識され、売り注文が相次いだ」と話しています。
NHKNewsWeb2016.1.4
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160104/k10010360591000.html

(||`ハ´ )しょ、初日だから色々あるアルね。没問題アル。

1月5日( `ハ´ )キンペー砲ドヤァ

中国人民銀行、国有銀行通じ人民元買い介入=市場筋

[香港/上海 5日 ロイター] - 市場筋によると、中国人民銀行(中央銀行)は5日、国有銀行を通じ人民元買い介入を実施したもよう。

オンショア市場の元は、取引開始直後に上昇、午前中盤時点で1ドル=6.5197元で取引されている。前日終値は6.5338元だった。

上海の国内銀行のトレーダーは「人民銀行が今朝、大手国内銀行を通じて介入したのは明らかだ。取引は非常に膨らんでいる」と述べた。オフショア市場の元は引き続き軟調。
1ドル=6.6446元と、約4年ぶりの安値付近で推移している。
ロイター2016.1.5
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160105-00000045-reut-bus_all


中国企業10社超、大株主による持ち株売却禁止期間の延長表明

[上海 5日 ロイター] - 中国企業の少なくとも10社は、向こう6カ月か12カ月は自社の支配株主や幹部が市場で持ち株を売却しないと表明した。4日に中国株が大幅安となったことから、株価の下支えを目指す。

中国株安は上場企業の大株主による株式売却の禁止期間(6カ月間)が8日に切れることへの懸念が一因となった。
中国の自動車部品メーカー、浙江世紀華通集団(002602.SZ)が最初に売却禁止期間の延長を自主的に発表。4日遅くに発表した声明文によると、株価安定と少数株主保護の観点から、支配株主は2017年1月9日まで市場で持ち株を売却しないという。
中国証券監督管理委員会(CSRC)は5日、上場企業の大株主・幹部による株式売却を規制するルールを検討していることを明らかにした。
ロイター2016.1.5
http://jp.reuters.com/article/huatong-share-sale-ban-idJPKBN0UJ0I520160105?rpc=122


1月7日
( `ハ´ )と~けるよとける~よ外貨がと~け~るぅ~

中国・上海株でサーキットブレーカー適用 急落で再び

 【上海=土居倫之】7日の中国・上海株式相場は前日比7%安と急落した。相場の急変時に取引を停止する「サーキットブレーカー」制度が4日に続いて再び適用された。取引開始から約30分で売買を全面停止し、同日の取引を終える展開となった。

 上海総合指数は前日比1.55%安で取引が始まった。その後急速に下げ幅を広げた。中国の通貨、人民元が下げ止まらず、資本流出懸念から株式投資家がリスク回避姿勢を強めたことが要因だ。
 中国人民銀行(中央銀行)が7日発表した人民元の売買の基準となる対ドルレート「基準値」は1ドル=6.5646元だった。対ドルで2011年3月以来約4年10カ月ぶりの安値水準となった。米中の金利差縮小観測から人民元の先安観が強まっていることを反映した。
  中国は4日に「サーキットブレーカー」制度を導入したばかり。上海総合指数と並ぶ代表的な株価指数「CSI300」が前日比5%超変動した場合、すべての 株式と先物の売買を15分停止する。また同7%超変動した場合は終日売買を停止する。取引4日間のうち2日間でサーキットブレーカー制度が適用されたこと で、今後見直しの議論が高まりそうだ。
一方、証券監督当局は7日、上場企業の大株主による保有株売却に一定の制限を設ける新しい規制を発表した。3カ月で売却できる株式を発行済み株式数の1%以内に制限する。
日本経済新聞2016.1.7
http://www.nikkei.com/markets/kaigai/asia.aspx?g=DGXLASGM07H3M_07012016MM0000

1月8日
( `ハ´ )事故った新幹線は埋める。天津大爆発跡は公園に。チャイニーズ・ソリューションは万能アルよ。
 
サーキットブレーカー制停止=株急落で「マイナス大きい」―中国

 【上海時事】上海証券取引所などは7日夜、相場が急変動した際、取引を止める「サーキットブレーカー」制度を8日から暫定的に停止すると発表した。
  昨夏の株式急落を教訓に、相場の安定を目指して今月4日から導入された同制度はかえって投資家のパニック売りを引き起こし、4日と7日の2回にわたって、取引が通常の終了時間前に打ち切られた。急落の原因の一つとみられ、見直しを求める声が高まっていた。

 中国証券監督管理委員会も7日声明を出し、同制度は「現在、マイナスの効果の方がプラスよりも大きい」と暫定停止の理由を説明した。
時事通信2016.1.8
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160108-00000002-jij-cn

(||`ハ´ )・・・・
(||`ハ´ )日記・・やめようかな・・・

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(´・ω・`)さてここですごい記事を紹介
AIIBというバスどころか21世紀そのものに乗り遅れてしまった日米の誤算
まぐまぐニュースAIIB高野孟
(最後部分を抜粋)
米日がAIIBの運営が中国の言いなりになるのではないかとその不透明性を盛んに言い立てているのは滑稽である。まだ組織が出来ていないものが透明であるかどうかと問われても、当事者は答えようがない。その言い方そのものが、どうせ世界の田舎者である独裁国がやることだから怪しいに決まっていると思い込む、旧態依然の差別意識の現れと言えるだろう。

AIIB の初代総裁になると目されている金立群は、北京外国語大学大学院でシェークスピアなど英文学を学んだが、英語だけでなくフランス語も能くする語学の才能を 買われて80年に財務部に就職、87年から2年間米ボストン大学大学院で経済学を学び、卒業後直ちに世界銀行の副執行理事となり5年間の任期を全うした。 一旦帰国して94年から財務部の世銀との連絡役を務めた後、03年にはアジア開銀の副総裁となり、当時の黒田東彦総裁(現日銀総裁)に仕えた。08年から は中国投資有限責任公司の監査長、13年からは中国国際金融公司の会長の職にあった。

つまりは中国きっての国際金融のプロで あり、しかも世銀とアジア開銀の大幹部として計10年間、実務に携わり、その両行の甘いも酸いもすべて噛み分けた人物である。米日政府はまずはこういう有 能な事実上の責任者と腹を割って意見交換して見極めれば良よかったのに、それをせずに、遠巻きから「怪しいぞ、危ないぞ」と言うばかりだった。米日はAIIBというバスに乗り遅れたのではなくて、21世紀に乗り遅れたのである。

『高野孟のTHE JOURNAL』Vol.182より一部抜粋
MAG2NEWS 2015.4.22
 http://www.mag2.com/p/news/13536

差別意識の現れ・・・って言われましても
今の上海市場見て透明性があると思うのかい?
中国のエリートは留学もして優秀なんだろうけどさ、それでどうしてこんななるんかねぇ・・

参考
にんげん出版(街道系)からご著書が出ている高野孟氏
民主党・鈴木寛 在特会バッシングに参戦

アサヒる(-@∀@)守真弓記者① 
アサヒる(-@∀@)守真弓記者② 
アサ芸・朝日新聞と朝鮮日報の反日増幅報道を検証 
件の守真弓記者の記事

売れるから「嫌中憎韓」 書店に専用棚/週刊誌、何度も扱う

「国民不満すくう」「訴訟リスク低い」

「嫌中憎韓」が出版界のトレンドになりつつある。ベストセラーリストには韓国や中国を非難する作品が並び、週刊誌も両国を揶揄(やゆ)する見出しが目立つ。

 東京・神保町の大手「三省堂書店」。1階レジ前の最も目立つコーナーに刺激的な帯のついた新書が並ぶ。

 「これでもまだあの国につき合いますか」「あの国に学ぶことなど一つとしてない!」「どうしてこの民族はこんなに自己中心的なのだろうか」

 同書店では昨年秋ごろから日本を賛美する内容の本と並んで、韓国や中国を批判する内容の本が売れ始めた。大月由美子主任は「店舗の売り上げに占める割合が大きくなり、専用のコーナーを設けることになった」と説明する。

 三省堂だけではなく、多くの書店が、こうした本を集めたコーナーを設け始めており、「嫌中憎韓」は出版物の一ジャンルとして確立しつつある。

 今年に入ってから既に、新書・ノンフィクション部門の週刊ベストセラーリスト(トーハン)のトップ10には『呆韓論』『侮日論』『嘘(うそ)だらけの日韓近現代史』の3冊が登場した。昨年の同時期には1冊もなかった。

 中でも『呆韓論』は7週連続でトップ10入りした。産経新聞出版の担当者は「想定をはるかに超える売れ方だ」と話す。読者からは「韓国がなぜあそこまで反日になるかよく分かった」などの声が寄せられているという。

 05年に発売され、シリーズ累計100万部を売った『マンガ嫌韓流』は22日、新たにムック本を出す予定。担当者は「大手メディアが韓国の悪い部分を報じず、国民の中にたまっていた不満をすくいとったのでは」と分析する。

 こうした傾向は、週刊誌も同じだ。

 昨年1年間に発行された週刊文春全49号のうち、見出しに「中国」「韓国」「尖閣」「慰安婦」などがついた記事は48号に上った。週刊新潮は49号のうち37号、週刊ポストは44号のうち38号、週刊現代は46号のうち28号だった。

 ほとんどの記事が両国や、両国の指導者を非難する内容だ。「売れるのでやめられない。政治家スキャンダルなどと違い、国外のニュースを紹介するだけなので訴訟リスクが極めて低いことも記事を増やす要因だ」。30代の週刊誌記者は明かす。

 週刊誌が中国の記事を求められるようになったのは2010年の尖閣諸島沖での漁船衝突事件の頃から、韓国は12年の李明博大統領(当時)の竹島上陸の頃からという。

 新しい動きもある。昨年末に編集長が交代した週刊現代は1月末の号で嫌中憎韓路線を転換。「『嫌中』『憎韓』に酔いしれる人々は本当に武器を取るつもりか」と訴えた。

 若手記者からは異論もあったが、「面白いだけでなく、ためになる週刊誌でなければならない」(同誌記者)と決めたという。売り上げは「落ちなかった」という。

  メディア批評誌「創」の篠田博之編集長は「週刊現代は思い切った方向転換だったが、それが長期的方針になるかはまだわからない。売れる限りブームは終わら ないだろう」と分析。慶応大の大石裕教授(ジャーナリズム論)は「週刊誌などだけがブームを作ったわけではない。メディアが日韓・日中の対立ばかりを報 じ、日常的な交流のニュースを捨象してきたことも根本にある。報道全体の検証が必要だ」と話す。(守真弓)

昨年7月以降トップ10に入った中韓や日本についての新書
呆韓論/室谷克実/20万部
悪韓論/室谷克実/11万部
嘘だらけの日韓近現代史/倉山満/7万4千部
嘘だらけの日中近現代史/倉山満/7万8千部
侮日論/呉善花/3万部
日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか/竹田恒泰/46万部
日本人はいつ日本が好きになったのか/竹田恒泰/14万部
住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち/川口マーン恵美/16万部

朝日新聞DIGITAL2014.2.11
http://www.asahi.com/articles/ASG2977HYG29UCVL00Z.html

室谷克実氏の本は、ソースは全て韓国メディアで
ご本人は「反論があるなら是非『好韓論』を書いて下さい」と後書きに書いてるんですがそれは

倉山満氏は、嘘だらけの日米近現代史も日露も日英も書いていてシリーズの一環
韓国・中国だけ書いてるわけじゃない

呉善花さんに至っては元韓国人でしょ?単なる韓国叩き本じゃないのは言うまでもない
ずっと以前から日韓の文化の違いを掘り下げて分かりやすく書いてくれてるわけで
(そのせいで韓国に入国拒否されたんだけど!?)

いずれも売れるから嫌韓・嫌中なんて内容にはほど遠いと思うんだけど

何が嫌韓・嫌中にあたるかは我々が決めるってかそうですか
世論誘導できないからって見苦しい  いくら見解が違おうと出版業界人として終わってる

あの文革(文化大革命)のときも、批判的に報じる日本メディアが次々と追放されるなかで、『朝日』は唯一、北京に特派員を置くことが許されるなど、一貫して中国共産党と濃密な関係にありました。

『朝日新聞だけではない 戦後ジャーナリズムが陥っている偽善』 門田隆将
http://ironna.jp/article/486




p21
(本多勝一記者『中国の旅』について)
 もし仮に中国共産党の意にそぐわない記事を掲載すれば、国外追放といった処分を受けるのは必至であったことを充分承知していたため、検証を行うことなく記事を掲載したものであった。

 いやむしろ朝日新聞は、中国政府に隷属することで、当時朝日以外のマスコミの存在が一切なかった中国での報道を独占できるという商業主義の論理が強く働いていたことは間違いないだろう。

売れるからでっちあげ侮日記事書いてきた朝日が何か言える立場かね
次は「南京大虐殺」だ!本多勝一がキャプション誤用を認める 

国を売って金儲け。日本ヘイト新聞。 
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